Chapter 01
焼鳥が好きな皆さん、
焼鳥に精進する職人さん、
そして、この道を目指す若い人たちへ。
「この串は、一生に一度だけのもの」という気持ちで、
鶏と向き合い、炭と向き合い、自分と向き合う。
そしてすべては、お客様との出会いにつながっていく。焼鳥には、この国の食の伝統が生きています。
人を、日本を、世界を、笑顔にする味があります。一本の串の魅力を、一生をかけて究めたい。
日本の食文化の伝統を守り、育て、未来に継承していきたい。そのためには、焼鳥の本質を追究し、より高い次元へと進化させ、ひとつの料理として完成させていくこと。
美味しさ、店の雰囲気、お客様の空気感が
三位一体となった場づくりが必要だと考えています。だけど自分は、まだまだ足りません。
だからこそ、焼鳥は面白い。
これは、焼鳥に対する僕の思いや経験をまとめたものです。皆さんと共有して、少しでも参考にしていただけたり、食に携わる人の絆と可能性が広がるきっかけになれたら幸いです。
Chapter 02
焼鳥との遭遇。
今から40年ほど前、東京江戸川区の下町。小学校の頃は、にぎわっていた商店街を通って登下校していた。帰り道に友だちと鬼ごっこしたり遊んでおなかがすくと、どこからか焼鳥の煙が漂ってきて、甘辛い美味しそうな匂いがした。それだけでご飯が食べられるような…ふり返ると脳とおなかに響いたのはその匂い。子どもでも買える値段で、午前中しか授業がない土曜日には、その焼鳥屋さんに買いに行きました。
当時は父がよく居酒屋に通っていて、たまに僕も連れていってくれた。店には焼鳥のメニューが並んでいる。オレンジジュースを飲みながら「これが焼鳥なんだ」ってまたワクワクして、ご飯もたのんで夢中で食べた。おなかいっぱい満たされて、それが自分の中で「ご馳走」の原点になった。焼鳥は家では作らないし、商店街の道や居酒屋さんで子どもながらに体験したその匂いや空間や雰囲気に、今も「自分が高揚する感覚」が焼きついています。
大学時代、たまたま友人の実家が静岡で焼鳥屋をやっていた。夏休みに遊びに行って店を手伝っているとき、ふと将来のことを考えた。自分が10代の頃に思い描いていたこと、なかなか思っているようには人生が進まなくて悩んでいた20代前半。これから就職してリアルに社会に出るけれど、果たして自分は何を目指しているんだろう。そのタイミングでシンクロして、「もし仮に失敗しても、好きな焼鳥に関われる人生は幸せなんじゃないか」と思った。それが、焼鳥をやりたい、いつか店を出したいと目標をもったはじまりでした。
焼鳥をやるにしても、どうしたらいいのかわからない。一度社会に出る必要があると思い、人材派遣の営業職に就いた。仕事終わりや休日の限られた時間のなかで焼鳥屋を100軒以上食べ歩いて「焼鳥って深い、活気がある」とあらためて感じた。インターネットやSNSのない時代だったので、雑誌片手に有名といわれる店に行く。ついに遭遇したのが、中目黒の“鳥よし”。それまでに見たことのない仕事や空気感に圧倒されて「こんなお店があるんだ」と心の底から衝撃を受けた。そこで“鳥よし”がちょうど募集しているのを知って修行させてもらえることになった。27歳のときです。
Chapter 03
修行時代の
柱になったこと。
「鶏肉にただタレをつけて焼くだけの作業じゃないか、難しくはないはず」…当初は正直、焼鳥をなめていたと思う。表面的にしか物事を見ていなかったので、一人前の職人になるのにそんなに時間はかからない、それらしい雰囲気を作ってお客様に提供すれば満足していただけると勘違いしていた。包丁を使ったこともないような自分なのに、“鳥よし”でもすぐに焼かせてもらえるだろうと行ったら、自分の甘い考えは一瞬で根本からへし折られました。
最初の1年間は鶏肉にも触らせてもらえず、ただ雑用と掃除のみの「追い回し」の日々。多くの人は辞めていったけど、自分は辞めるということは考えなかった。仕事の本質というものを少しずつ教えてもらいながら、なぜ僕に雑用や掃除ばかり課すのかということを理解できてきた頃から「焼鳥はシンプルに見えるけど本当に奥深いもの」だと身をもって知った。実際に焼きを許されたのは入ってから4年後。どちらかというとできない部類の人間だったので、かなり遅いほう。できる子たちはどんどん焼いて、追い抜かれて悔しさもありました。
“鳥よし”は鮨屋さんのような焼鳥屋だから、手さばきも表情や態度もすべてが人の目にさらされていて言い訳はできない。自分が感情的になったり、ちょっとでも嫌な顔をすればすぐお客様に伝わってしまう。お金を払って来てくださっているお客様の大切な時間なのに、こんな接客したらまた来ていただくのは難しいと思って、それこそ鏡を見て表情を作ったり、いろいろな失敗を糧にしながら過ごしていたある日、「そろそろお前も焼くか」と言っていただいた。ふり返れば、少しずつだけど素材の大切さや炭の扱い方、物の見方やお客様に対する接し方がようやくできるようになったと親方に認めていただけたのかもしれません。
それからは、自分が焼いてお客様に美味しいと言ってもらえるにはどうすればいいかだけを考えて集中する日々。修行中はとにかく目の前のことを一生懸命やる、という繰り返しだった。7年間の修行に耐えて強くなれた柱のひとつは、“鳥よし”というすべての所作が厳しく見られている環境の中で、「つねに自分と向き合って客観的に考える」ことを忘れずにいたからだと思っています。
Chapter 04
五感を尽くし、
五感を楽しませる。
食べる前に美味しそうに見える「視覚」。炭を割る音やパチパチと燃える音、うちわで扇ぐ音などの「聴覚」。炭、肉、タレの香りを楽しむ「嗅覚」。串の種類で異なる指触り、口にしたときの食感という「触覚」。そして美味しさを堪能する「味覚」。焼鳥で楽しめる五感を満たす職人でありたい。人は人と接するとき、相手の表情や呼吸や気配を無意識のうちに五感で受けとめている。なんとなく美味しい、居心地が良い、その「なんとなく」という抽象的な感覚も、店の雰囲気や接客などすべてがお客様の五感につながっている。だからあくまでも主役はお客様で、心地よく食事をしてもらうために、僕らは「黒子」に徹し五感をセンサーのように働かせなければなりません。
たとえばお客様がふたりで来店されたとき、そこにはいろいろな関係性があり、どんな仲や立場なのかをすぐに察して、何を食べたいと思っているか、どちらに先に串を出したら良いかなどを感じて動かないといけない。そうでなければ、お客様に時間を忘れて楽しく過ごしてもらうことはできません。誰もが当たり前のように親しんでいる焼鳥を、より価値あるものに進化させるにはどうしたらいいのかを考えると、必然的にお客様が焼鳥を食べ、帰られるプロセスまでが凝縮されて自分の仕事だと思うようになりました。
人の気持ちをわかろうとする気持ち、それがないと相手の気持ちにも近づけない。それは物に対するときも同じです。素材の気持ちを考えたら、ここを早く使おうとか、ここはもう少し置いたほうがいいとか、わかってくる。炭も同じ炭は一つもないので、叩いて鈍い音がする、鋭い音がする、詰まり方や水分が入っていることも把握できるようになる。僕らは「物の気持ち」になれないと、どうなっているか、どう違うのかわからない。素直な気持ちで繊細に見きわめることが絶対的に大事です。焼鳥はシンプルだからこそ本質を深掘りできるかどうかが技術の大きな差になって表れるし、それはお客様も自然に感じとっています。
今でも焼鳥はなかなか家では作れない料理です。このデジタルな世の中で、いまだに炭で焼くという日本人のDNAに刻まれた懐かしさやユニークさは貴重で、お客様にとっても僕ら職人にとっても面白いし、凄いんじゃないかという思いがある。焼鳥は「五感ぜんぶで楽しめるもの」。そしてその仕事も「五感を尽くして向き合う仕事」だと思っています。
Chapter 05
焼鳥職人という
アスリート。
毎日、丸鶏を仕入れて自分でさばき、紀州の備長炭を使い「近火の強火」で焼く。丸鶏をさばくには資格が必要で、その日の1羽1羽の状態を把握することからはじまります。備長炭は強火を維持できる焼鳥に最適の炭で、近火は素早く肉汁や旨味を閉じ込めてふっくら焼き上げるため。一串ずつ性格も違うので自分本位の焼き方ではなく、個性を見きわめながら焼かなくてはなりません。いつも同じものを見て、同じことを続けることでわかってくることが多く、技術の差は「継続」から生まれます。ほかにも串打ち、部位による串の使い分け、火力の保ち方、串の回し方、うちわの扇ぎ方、タレや調味料の仕込みと使い方など様々な技術が必要になりますが、炭火を扱う僕ら職人はとくに「温度」に敏感にならないと良い焼きはできません。
また、温度という点では「人の温度」を感じとることも重要です。人は感情を持つ生き物で、お客様もふと喜怒哀楽を出したりします。楽しい、悔しい、寂しい…いろんな場面で人の気持ちの温度に対しても、敏感に寄り添える温度で接したい。たとえば焼く順番にしても、まちがって先のお客様より後のお客様に提供してしまったら誰だって良い思いはしない。状況を見てなかったら感じることさえできないので、つねに目配り、気配りする。もしミスがあったときは、お帰りの際に一言「すみませんでした」と素直に言えばお客様の気持ちも和らぎます。人の温度を感じて、観察して、距離感を身につけるのは焼鳥を焼く以前に大事なことです。
焼鳥には、一本の串を仕上げるまでに「向き合う」ことがたくさんあります。鶏と向き合う、生産者と向き合う、部位と向き合う、炭と向き合う、そして自分と向き合い、その集大成としてお客様と向き合います。そんなひとつひとつの向き合い方にもこの職業の魅力がある。「どれだけ一本の串の気持ちになれるか」そのためには自分を律して、素材やすべての物事に素直に対峙することが必要で、そこにやりがいを感じます。
いま僕が目指している焼鳥職人は武道やアスリートに近い感覚があります。「心・技・体」を磨き、一瞬一瞬、真剣勝負の姿を見てもらう。礼に始まり礼に終わる。そして、お客様をもてなし喜びや感動をとどけたい。自分にとってこの仕事は、武道はもちろん茶道や華道などにも通じる日本特有のひとつの道を究めていく「焼鳥道」なのかもしれません。実際、自分の店は、弟子たちが修行に励む道場のような場にもなっています。
Chapter 06
人間力を高めてこそ、
職人。
僕が好きなEXILEをはじめLDHのライブ。「自分は演者で、主役はお客様」というスタンスに心からシンパシーを覚えます。僕は常々スタッフに「相手だったらどう思うかイメージして」と言っている。“鳥しき”ではお客様が何ヶ月も先の予約を取って当日を楽しみに来てくださる。もしかしたらそれは、観たいライブチケットを手に入れて、その日を待つ心情にも重なるのかもしれない…そのお客様のこと、どんなことを期待されているかを想って、しっかり準備する。人を想う想像力を持たないと本気でお客様に向き合うことはできません。ライブだって最初は行っても、「もう一回観たい、もう一回あの人に会いたい」という感動は生まれないはず。世界は違っても、エンタテインメントから学ばせてもらうことは多いです。
あくまでもお客様を主役に考えて、何を求めているかを察知して応える力は、焼く能力と同じかそれ以上に問われます。まず土台となる「人間力」を高めないと良い焼きはできない。毎日違うお客様がいらして、その人の個性や連れの方との関係を瞬時に感じ、タイミングを合わせて串をお出しするのは、まさにライブの感覚かもしれません。串は一串ごとに違う、お客様とは一期一会。その瞬間に最高の思い出づくりをしようという姿勢で臨みます。つねに真剣勝負のなかで集中力を研ぎ澄まし、人を想いもてなす心、人間力を高めることが焼鳥職人として名乗れるか、名乗れないか、重要な資質になるのではないでしょうか。
人間力を磨く原点が修行中の掃除や雑用や挨拶などで、当たり前のことが案外できていないのが今の時代。どこの会社でも、学歴があっても心のない人は、最初は採用されたとしても出世はできないと思います。一歩一歩成長を続け、人から求められていく人は、相手の言葉を素直に聞ける人です。だから心を磨く、いま失われつつある心を。返事ひとつでも、相手の目を見て言わないのはたんなる作業で、目を見て気持ちをこめて言えば伝わる。店の全員が意識していないと「雰囲気」は醸し出されないので、心構えは基本中の基本として大事にしています。
お客様は百人百様。僕らはそのひとつひとつの気持ちを大切に受けとめて、行動に移さなければなりません。その能力と心をあわせ持つ人間力がなければ、お客様の想像する以上の価値は提供できない。お客様が何度来てもワクワクしたり、幸せな気持ちになって帰れたりするような「焼鳥界のLDH」になりたいなとひそかに考えています。
Chapter 07
伝統の食文化を
未来につなぐ。
鮨や天ぷらは、日本の伝統的な食文化として確立された地位にあるけれど、それに比べると焼鳥はシンプルで身近なぶん軽く見られているふしがあって、「和食じゃない」と弾かれていた時代もありました。でも考えてみれば、日本の伝統的な炭を熱源として使い、現代にまで生き残ってきたアナログな食べ物は貴重な存在です。僕は「日本の伝統的な食文化のひとつ」と言っていいんじゃないかとずっと思ってきました。
焼鳥を楽しむ場面は様々あって、居酒屋さんのいちメニューに過ぎなかった食べ物が、いまやチェーン店から専門店、高級店までできて多様化しています。そんな状況になっても、鮨や天ぷらの地位にはまだ到達していないのが現実で、「焼鳥の本質」を伝える職人が少ないのも一因。僕には、自分は職人でいないといけない、ある程度認めてもらえたからにはひとつの指標になれるように、焼鳥の文化を伝える担い手にならないといけない、という勝手ですが使命感があります。そのために、「焼鳥を完成された料理にしたい」「真剣勝負の焼鳥をお客様に味わっていただきたい」そんな信念をもって、いまある店のかたちになりました。
修行時代に親方から教わったのは「自分を出さない」こと。若いうちはどうしても自分を表現したがるから難しい。行き着いたのは「表現しないことが僕の表現の仕方」という考えです。結局は焼鳥が美味しい、また来たい気持ちになっていただくことが大切で「あの焼鳥が食べたい」と思い出してくれたら、それは結果的に自分の表現になっている。僕は一見、お客様からは話しかけにくい人間と思われるかもしれないけれど、にっこりするときゅんとくるよね、怖そうに見えるけど話せば優しいし…そんな感じが立ち位置だと思っています(笑)。
僕が目指しているのは焼鳥屋のかたちの一例に過ぎませんが、大きな目標や夢を持つことで働く人にもやりがいのある店にしたいと考えています。“鳥しき”を開いて、修行させてほしいという子たちが入ってきたときからスイッチが入りました。弟子が独立しても食べていけるように、焼鳥屋をやってよかったと思えるために、親方としても成長し背中を見せられる存在になる責任があります。誰かが焼鳥の伝統的な手法を守りつつ、進化させていかないと日本の食文化として発展しない。「伝統をつなぐ職人」を育てて、一緒に頑張っていきたい。
Chapter 08
職人の力で
世界を驚かせたい。
海外で焼鳥を披露したときのこと。スペインのイベントでは“Amazing!”という反応でスタンディングオベーションを受けました。そのとき、強いインパクトをもって受け入れられる日本の食文化になれるんじゃないかと思ったし、様々な外国人シェフと話してみると、本格的な焼鳥を海外で広めるってまだ誰もやっていないなと。それが、日本の伝統的な食文化として伝えたいと思った理由で「日本の職人ってすごく可能性があるな」と再認識しました。
焼鳥屋は海外にもあることはあって、鶏肉は宗教的な問題もなく、世界中の人に楽しんでもらえる可能性があります。ただ内臓を食べる習慣のある国は少なくて、様々な部位を提供する店もほとんどない。自分は伊達鶏を使っていますが、大腸以外のたくさんの部位が食べられて、それぞれ違う食感や味が楽しめます。外国でも現地で良い鶏の調達は可能で、いろいろな鶏肉がある。放し飼いで、餌もおなかがすいたときに食べて、眠いときは寝るという自然に近い状態だから、健康的で基本的にはどの種類でも使えます。日本特有の「あらゆる部位を大事に使う」伝統のやり方は伝えていこうと思うし、外国のお客様にも発見がありチャンスは大きいと思います。
素材と向き合うことを第一に考えると、炭を使うのはまちがいなく良い方法なので、そこにはこだわります。日本でも和食のみならず、フレンチやイタリアンでも使っている店が出てきて、世界的にも炭や薪で調理するのは少しずつ増えてきている。炭を使うことで焼鳥をより五感で楽しむことができ、だからこそ言葉を超えて世界の人たちに「日本」を感じてもらえると思います。炭や串やうちわ、醤油の香り、日本酒(ワインなどももちろん合いますが)なども相まって、焼鳥は日本の総合力であり「日本の伝統文化のエッセンス」が濃く詰まっている料理だと受け入れられるのではないでしょうか。
僕も含めて、焼鳥の伝統をつなぐ職人や腕を磨いた若い職人が「本物の魅力」をどんどん海外に広めていってほしい。そして世界の人に、日本にはこんなに素晴らしい食文化があるんだと驚きと感動を味わってほしい。それに、フランス料理を学びたいからフランスで日本人が修行するように、焼鳥を学びたいから日本で外国の人が修行するようになれたらと考えています。
Chapter 09
焼鳥をになう
次の世代へ。
いつか自分の店を持ちたい。その夢をかなえるには、技術だけにとどまらず「礼儀」や「接客」を磨き上げることです。こんなに焼鳥屋が増えているなかで、お客様に選ばれる店になるには、それが肝心になる。いま、若い子たちには実際に現場で体験させて、僕も見本になれるように実践しながら伝えています。修行は苦しくて最初は難しいけれど、日々、リアルに起きていることを目のあたりにしてその大切さを感じてくれている。この先、弟子たちが独立したら、「価値ある店」を作って、地域でいちばん愛される店になってくれたら嬉しいです。
僕は、焼鳥を焼くことを「作業」ではなく「仕事」にしなくてはならないと思っています。作業は、あくまでも仕事をするための手段で、モノを作る行程に過ぎない。たとえばグラスを作ったとして、それを買った人が使うことで心が豊かになり、いわゆる「価値」を感じるものが仕事。焼鳥もただ焼くだけではなく、食べた人を笑顔に変えたり、あの焼鳥は美味しかったなって脳裏に焼きついたりすることができれば、そこで初めて仕事が成立する。お客様にまた行きたいと思ってもらえたときが、自分の仕事ができたときだと解釈しています。
焼鳥の道に入ったとき、はじめは焼鳥をなめていた自分だけど、結局はその魅力にどんどん引き込まれて、職人として高みを追い求めている。いま僕が目指しているのは「焼鳥職人の地位向上」で、すごく苦しさもあります。やればやるほど、職人的なエッセンスを追究しなければいけないし、とうぜん様々なことに対して自分を戒める。挑戦には楽しさと表裏一体の苦しさがつきまとうけれど、焼鳥屋になりたい次の世代に「職人って素晴らしい、将来的にも夢がある」ことは使命感をもって伝えていきます。
威勢のいい昔ながらの大衆に愛される焼鳥をやりたい…という道を選ぶのも正しい答えだと思っています。いろんな道があるのもこの世界の面白さで、入口はひとつじゃない。まずは入ってみて、本当にその道のプロフェッショナルになろうと思ったときに伸びしろはあるか。僕らの場合は「ここでいい」っていうのはまったくないけれど、「普遍的なことをどこまで続けられるか」に挑戦するのも面白そうです。自分で頑張れば頑張るほど別の表現ができるのも職人のやりがいなので、人それぞれの生き方で表現する焼鳥は違っていいと思います。
Chapter 10
「一串一生」でいく。
職人として焼鳥を突きつめようと思ったのは、「鶏と向き合う面白さ」「一串を考える面白さ」「炭火を操る面白さ」など、答えにたどり着かないくらい深いものだと思ったからです。近頃はクオリティの高い本格的な店が増えてきて、全国で少しずつ流れはできつつある。焼鳥をやりたいという若い人も増えて、本当に状況が変わってきたなと実感しています。いま、日本の焼鳥は次のステージへ向かう時代。ポテンシャルはたくさんあると思うので、もっと世界に未来に広がって「もっと愛される食」になれるはずです。
何をもって焼鳥の王道かはひと言では言えないけれど、追究していくうちに様々な変化が生まれてくると思います。どんな業界でも、時代とともに王道といわれていたものも弾かれていって、新しい王道が現れたりする。100年以上続く老舗も、実は見えないところですごく変革している。見た目は変わらなくても、中身は新しいことに挑戦しているのが僕は好きです。ただ味を守っていくだけでは衰退してしまうので、自分もいろいろな出会いをきっかけに可能性を求めて変わり続けたい。
別の料理で別の食材を使っている人の話はとても気になるので、積極的にコミュニケーションをとって勉強させてもらっています。弟子たちはどんどん育ってきて、いまは場所などの土台を作っていく段階に入っています。焼鳥職人の可能性を広げるためにも、他の職人さんや志をともにする仲間と力を合わせていく。そして日本の食文化を、夢のある未来につなげられるように動いていこうと思います。
どんなに焼鳥の世界が変わっても、先人から受け継いできた大切な基本は変わらないし、変えることはできません。僕は年齢を重ねて80歳、90歳になっても焼鳥を続けていたい。伝統のその先にある世界を広げられるのではないかと思っています。自分の仕事として、そもそも焼鳥を焼けること、直接お客様と触れあって提供できることが職人のプライドであり、生き様でもあります。シンプルなものほど完璧はなくて、お客様には申し訳ありませんが、僕はまだ一度も「これで満足」という串はできあがっていない。今も壁を感じて悩むことも多いけれど、「この一串は、一生をかけて究めるに値する仕事」だと信じて、この道を貫いていきます。
Chapter 11
おわりに
もう20年以上前、僕が中目黒の“鳥よし”で働いていたときのこと。EXILEのリーダーHIROさんとEXILEメンバーが店を訪れ、レモンサワーを飲み、焼鳥を食べながら夢を語り合う場面を目撃しました。
あれから、あの焼鳥を囲んで夢を語っていた人たちはどんどん夢をかなえて、日本中を熱狂させ、たくさんの人を笑顔にしている。
EXILEの会社LDHは成長を続け、さらなる世界に挑戦を広げている。その推進力って、いったい何なのだろう。
興味をもって調べてみると、EXILEのみならず、EXILETRIBEの仕組みや少年少女たちが門をたたくEXPGというスクール、全国の若者たちにチャンスを与えてきた
VOCALBATTLEAUDITIONなど、LDHが夢の力を信じて、「夢に挑戦できる仕組み」をつくり続けている土台があると知りました。
HIROさんがダンサーを「パフォーマー」へと確立させEXILEを築いたように、同じ志を抱く仲間とともに焼鳥を究め、職人の地位を高められたら…。伝統の技術を継承 し、進化させ、日本の食文化として継続的に発展するために、「LDHの仕組み」を焼鳥の世界にもつくっていけたら…。
いつしか、そんな夢が自分の中で大きくふくらんでいったのです。
頑張っていれば、思いは通じるものなのでしょうか。
再び、想像もしていなかった出会いが訪れました。いま僕はLDHと一緒に、焼鳥の未来に向かって新たな挑戦をしていこうとワクワクしています。きっと、あの“鳥よし”で熱く夢を語っていた若きEXILEメンバーのように。
焼鳥職人 池川義輝
池川義輝×LDHは
新たなプロジェクトを共創してまいります。