職人インタビュー

世界で活躍する職人になる

元焼鳥屋スタッフ

世界に焼鳥を広げていく

元在メキシコ飲食店スタッフ

焼鳥で人々を笑顔にさせる

元銀座の黒服

笑顔が絶えない焼鳥屋を作る

元消防士

世界で活躍する
職人になる

狩野汰成 / 鳥かど / 職人歴2年
/ 元焼鳥屋スタッフ

世界で活躍する
職人になる

なぜ、焼鳥職人になろうと思ったのか。

海外に焼鳥を広める。

海外で働きたいと思っており、専門学校卒業後にオーストラリアへ留学。
日本に帰国後、焼鳥屋でのアルバイトの経験を踏まえ、「海外で焼鳥をやったら面白いのではないか」とふと思いました。

海外に焼鳥屋はまだまだ少ない事を知り、焼鳥職人になる覚悟を決めました。

どんな夢を持って焼鳥職人になったのか。

お客様に愛されるお店を目指して。

専門学校在学中、初めてのアルバイトがホテルの鉄板焼きのレストランでした。
そこで先輩シェフがお客様の目の前で料理をしながらサービスをしている光景を見て、いつかカウンターのあるお店で仕事したいと思いました。

その後焼鳥と出会い、料理もサービスもお客様に愛されるお店を作りたいと思いました。

職人になってから変わった焼鳥職人への印象

自分次第の厳しくも楽しい世界。

自分が職人になる前、
焼鳥職人は修行期間が長くお堅いイメージでした。

ただ、自分が職人になって、捉え方が変わりました。
もちろん厳しい世界ですが、達成感や充実感が毎日の中に感じられる。
自分の努力次第でいい方向に悪い方向にもなれる、厳しくも楽しい世界です。

職人になって人として、変わったこと

日々学ぶことがたくさんあります。

お客様に対する接し方です。
24歳から鳥しきで修行を続けていますが、日々学ぶことはたくさんあります。
料理はもちろんですが、お客様に対するお気遣いに関しては本当にたくさんのことを学ばせていただいております。

今の野望は何か。

異国でもお客様に愛される。

海外で職人になることを夢見て、鳥しきの門を叩いた私。
そして今年、中国上海店の店主として任命していただきました。

30歳になるまでに海外に行く。それを1つの目標としていたので、夢を叶えられたことは非常に嬉しいです。
異国でもお客様に愛されるため、自分に何ができるのか。
とてもワクワクしています。

世界に焼鳥を
広げていく

大平貴紀 / 鳥かど / 職人歴2年
/ 元在メキシコ飲食店スタッフ

世界に焼鳥を
広げていく

なぜ、焼鳥職人になろうと思ったのか。

安定した生活を手放してでも。

海外で料理の仕事をしていた頃、幸せなことに仕事にもこまらず、安定した生活をしていました。
ただ、安定は悪く言えば停滞。日々自分の成長を感じることが少なくなっていました。

そんな時、もともと焼鳥が好きだったこともあり、直感で探していたのが焼鳥職人。
日本一の焼き鳥屋である「鳥しき」の分店、「鳥かど」に電話をしました。

どんな夢を持って焼鳥職人になったのか。

焼き鳥を世界に広めていく。

当時は、日本を離れるとまだまだ認知されていなかった焼鳥屋。
その分世界で伸び代があると思い、意を決して鳥しきの門をくぐりました。

職人になってから変わった焼鳥職人への印象

表には見えない、隠れた気遣い。

焼鳥職人はどことなく無愛想なイメージ。

しかし、鳥しきに来てからは180度印象が変わりました。
技術はもちろん、本当に大切なことはお客様への心からの気遣い。
鳥しきで学んだことです。

職人になって人として、変わったこと

時間への意識。

唯一、平等に与えられているのが"時間"。
日々過ぎていく限られた時間の中で、昨日の自分を超え成長をしていくにはどうすれば良いのか。

職人になる前よりも時間を大事に考えるようになりました。

今の野望は何か。

焼鳥の地位向上に貢献する。

世界に焼鳥を広めること。
初めてのミシュラン2つ星の焼鳥屋、世界のベストレストラン50など。野望は尽きないです。

焼鳥の地位向上に自分が携われたら、これ以上の喜びはありません。

焼鳥で人々を
笑顔にさせる

姫野正裕 / 鳥かぜ / 職人歴5年
/ 元銀座の黒服

焼鳥で人々を
笑顔にさせる

なぜ、焼鳥職人になろうと思ったのか。

焼鳥が希望を見せてくれた。

「7年の修行を経て独立」。将来の仕事について考えていた私に、希望を見せてくれたのが鳥しきの親方の記事でした。

"生涯現役"、"焼鳥の可能性"という強い魅力が私を突き動かしました。

どんな夢を持って焼鳥職人になったのか。

挑戦するからこそはいつか。

焼鳥修行の道に入ったのが40代の頃。
「挑戦するからには必ず独立する」という夢を持ち職人になりました。

質実剛健に。生まれ育った日本の地で自身の店を構えることが夢でした。

職人になってから変わった焼鳥職人への印象

真正面から向き合う。

焼鳥職人は、ある意味でアスリートの様だと思っています。
スポーツと同じように精神力、体力が必要。
そして、日々の一串一串に、真正面から向き合う。

「一串一生」。親方の言葉を常に大事にしています。

職人になって人として、変わったこと

視座高く、視野広く。

目の前のお客様、そして共に働くスタッフ達から必要とされること。
まずは身近な人たちから。それがいずれ、世間から必要にされるということにつながると気付けました。

職人になって間違いなく、視座は高く視野は広くなっていってます。

今の野望は何か。

焼鳥で世界を笑顔に。

日々、親方自ら体現されているのを見て、「焼鳥の秘める可能性」はとても大きいものだと。
以前にも増して思うようになりました。

「焼鳥で世界を笑顔にさせる」。焼鳥にはそれができると信じています。

笑顔が絶えない
焼鳥屋を作る

辨野武尊 / 鳥かぜ / 職人歴8ヶ月
/ 元消防士

笑顔が絶えない
焼鳥屋を作る

なぜ、焼鳥職人になろうと思ったのか。

好きという思いに身をまかせました。

ある時、たまたま鳥しきの親方を拝見する機会があり、親方のかっこよさに強く感銘を受け、焼鳥職人になることを決めました。

前職は消防士。焼鳥が好きという強い気持ち、そしてあの時親方に受けた感銘が僕を突き動かし今に至っています。
本気で取り組むしかないなと決意を決めた時のことは今でも鮮明に覚えています。

どんな夢を持って焼鳥職人になったのか。

焼鳥で大きな夢を叶える。

今の私の夢は、生まれ故郷の淡路島で焼鳥屋を開くことです。
祖父母が飲食店を経営していたこともあり、いつかは自分のお店を持ちたいという想いがあります。

焼鳥職人は夢のある職業。「焼鳥でみんなを笑顔にしたい」という大きな夢のもと、日々精進しています。

職人になってから変わった焼鳥職人への印象

お客様に感動してもらうために。

本当に美味しい"一串"を食べてもらうため、串打ち、焼き...全ての工程に魂を込めること。
そして、気持ちよく過ごしていただけるよう、常にお客様のことを考えた接客。

高い職人気質とホスピタリティ。それが焼鳥職人です。

職人になって人として、変わったこと

喜んでいただけることが私の喜びです。

職人になる以前は、自分のことしか考えられていなかった。
ただ、焼鳥職人になってからは、本当に人の為を思って行動できるようになったと思っています。

自分がお出しする"一串"で満足、そして感動していただきたい。
そのために自分ができることを考え全うできるようになりました。

今の野望は何か。

叶えたい大きな夢があります。

日本で一番、"お客様の笑顔が絶えない焼鳥屋"を作ること。それが、今の野望です。
今の私には大きすぎる夢かもしれませんが、いつかは叶えられると信じています。

最終的には地元の淡路島に戻り、錦を飾れたらいいなと思っています。